プレスリリース

 
2006/1/13
ロシア参謀本部大学 額賀福志郎防衛庁長官スピーチ
「日本の防衛政策と日露防衛交流」
平成18年1月13日


    

ご列席の皆様、

 

本日、ここ参謀本部大学において日本の防衛庁長官として初めてスピーチを行うことは、私にとりこの上ない光栄であります。このような機会を与えてくださった エフレモフ・ロシア連邦軍参謀本部大学校長を始めとする参謀本部大学の皆様と国防省の皆様に心より感謝するとともに、敬意を表したいと存じます。

 

ここモスクワは広大なロシアの随分西に位置しており、皆様にとって、東方8000キロにある東京は、遠い存在で身近な都市とは感じられないかもしれません。しかし東アジアに目を移したとき、日本とロシアは、陸続きでこそないものの隣国であるということは疑いのないところです。もっとも、残念なことに、隣国でありながら、昨2005年は、不幸にして両国が戦火を交えた日露戦争から100周年、第二次世界大戦から60周年に当たりました。第二次世界大戦後も冷戦の開始により、二国間関係は決して順調なものではありませんでした。

しかしながら、冷戦の終了後、まさに状況は一変しました。ロシアは、市場経済を有する民主主義国家の仲間入りをし、1997年のデンバー・サミット以来 G8 のメンバーであり、本年はサンクトペテルブルクにおいて、初めて G8 サミットを主催することとなっています。日露関係も、大きな進展を見せました。昨年11月のプーチン・ロシア大統領の訪日時の日露首脳会談では、2003年の「日露行動計画」に基づき、日露関係が幅広い分野において順調に発展していることが確認されました。両国間の懸案となっている、領土問題を解決して平和条約を締結する問題についても、これまでの日露間の様々な合意及び文書に基づき、日露両国が共に受け入れられる解決を見出す努力を行うことで一致しています。そして、防衛交流は、日露の幅広い交流の中でも特に順調に進展してきている分野であり、今後更なる発展の可能性を秘めていると考えます。本日は、我々の協力的な関係の進展のために、新しい時代における日本の防衛政策と自衛隊による国際平和協力活動についてお話しするとともに、さらなる日露間の防衛交流についても触れたいと思います。

 

ご列席の皆様、

 

( 日本の防衛政策 )

日本の防衛政策の基本は、冷戦期から一貫して、憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならないとの基本理念に従い、日米安保体制を堅持するとともに、文民統制を確保し、非核三原則を守りつつ、節度ある防衛力を自主的に整備するというものです。現在も、この基本には些かの変更もありません。

 

( 冷戦から新防衛大綱策定まで )

冷戦期において、日本の防衛力は、日米安保体制の下、米国の軍事力と相俟って、如何なる国からの攻撃に対しても抑止力を形成することを目指したものであり、その役割は、厳に日本の防衛に限られていました。

冷戦の終了に伴う、国際安全保障環境の劇的な変化に対応するため、日本は、1995年に、防衛力の役割として、引き続き「日本の防衛」を主としつつも、「大規模災害等各種の事態への対処」と「より安定した安全保障環境の構築への貢献」の2つを追加しました。

2001年、9.11の対米国同時多発テロにより、国際社会は、国際テロ活動や大量破壊兵器とその運搬手段の拡散といった新たな脅威に直面していることを強く認識するようになりました。今や非国家主体によるテロ活動は、特に大量破壊兵器と結びつけて考えられたとき最大の脅威と認識され、国際社会は、それに対抗するための協力を従来にも増して推し進めていかねばなりません。

 

( 新防衛計画大綱 )

日本政府は、9.11後の情勢も踏まえ、2004年12月に新たな防衛計画の大綱を策定しました。大綱は、今後10年間にわたる防衛力のあり方や具体的整備目標を定めており、我が国自身の努力、同盟国との協力、国際社会との協力という3つのアプローチの統合を謳っています。詳細は別の資料に譲ることとし、ここでは特記すべき4項目について説明させていただきたいと思います。

第1は、国際安全保障環境の認識です。大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散、国際テロ活動等を含む「新たな脅威や多様な事態」への対応が国際社会にとって差し迫った課題となっています。更に、我が国周辺では、核戦力を含む大規模な軍事力の存在、朝鮮半島や台湾海峡を巡る問題等不透明・不確実な要素が指摘されています。ロシアの両側にある欧州と東アジアとでは、安全保障環境は全く異なる様相を示しているのです。大綱では、北朝鮮の大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発・配備・拡散等の問題や、中国による軍事力の近代化及び海洋における活動範囲の拡大等にも触れています。

第2は、防衛力のあり方です。新たな脅威や多様な事態への対処、国際平和協力活動への取り組み等のため、「多機能で弾力的な実効性のある防衛力」を整えることとしています。冷戦期における抑止を前提とした従来の考え方では新たな脅威への対応には限界があるため、従来の抑止指向型の防衛力を事態対応型の防衛力に転換することを進めるということです。具体的には、中央即応集団の創設等機動運用部隊の大幅な強化、2006年度末からの弾道ミサイル防衛システムの配備等です。また、本年3月からは統合運用体制が発足することとなっています。

第3は、日米安保体制の強化です。日米安保体制は我が国の安全保障にとって不可欠であるのみならず、米国の軍事的プレゼンスはアジア太平洋地域の平和と安定の維持にも不可欠です。日米間では、我が国における新「防衛計画の大綱」の策定、及び、米国における軍の変革(トランスフォーメーション)等の両国の政策の変化を踏まえて、新しい日米同盟のあり方について、戦略的な対話を行ってきました。昨年2月には、共通の戦略目標を確認しました。この中では、アジア太平洋地域におけるロシアの建設的関与が期待されています。更に、昨年10月には、新たな安全保障環境に対応し得る日米、特に自衛隊と米軍の役割・任務・能力について、基本的考え方や協力の方向性が示されました。また、在日米軍の兵力構成見直しについても、適切な抑止力の維持とともに、日米安保体制の基盤を安定化させるための沖縄を含む地元の負担の軽減の観点から検討が進められています。今後最終合意に向け、実施していくために米国と精力的に協議を行っています。

第4は、国際的な活動の一層の重視です。我が国は、国際的な安全保障環境を改善するために国際社会が協力して行う活動に主体的かつ積極的に取り組んでいくこととしています。このような活動を我が国では「国際平和協力活動」と呼んでいます。世界の平和が日本の平和に直結しているとの考えの下、国際社会と積極的に協力を図っていくものです。

 

ご列席の皆様、

 

( 国際平和協力活動 )

 次に、ロシアを含む国際社会との協力の観点から、自衛隊の国際平和協力活動への参加についてご紹介したいと思います。

 

(PKO等)

国際社会の平和と安定のために自衛隊が初めて海外に派遣されたのは、1991年の湾岸戦争直後のことであり、ペルシャ湾での掃海活動に当たりました。翌1992年、国際平和協力法が成立し、自衛隊は国連平和維持活動に参加する任務を与えられました。自衛隊は、同年、カンボジア国連PKOミッションへ参加、その後、モザンビーク、ゴラン高原、東チモールでのミッションと経験を重ねてきました。自衛隊の海外での活動は、関係国から高く評価されると共に、国内でも大きな国民的支持を得るようになっています。

 

( 災害救援 )

 災害の多い日本で多くの経験を積んだ自衛隊は、海外での災害救援にも従事してきました。2004年12月のインド洋における大地震・津波被害支援には1600名を、2005年10月のパキスタンにおける地震被害支援には250名をそれぞれ派遣し、物資輸送や医療支援に当たりました。災害救援は、安全保障分野での協力にセンシティビティや様々な制約のあるアジア太平洋諸国にとっても、比較的協力のしやすい分野であり、新たな協力を始める基礎の好例となり得ます。防衛庁は、ロシアを含む 20 以上の国・機関の代表が集まって様々な安全保障問題を議論する東京ディフェンス・フォーラムを毎年主催していますが、昨年 6 月のフォーラムでは、インド洋津波災害支援の経験を踏まえ、国や国際機関の間での緊密な調整、情報の共有の必要性等について認識が一致しました。

 

( イラク人道復興支援等 )

 日本は、2年前からイラク南部サマーワに陸上自衛隊員約600名を派遣し、イラク当局とも緊密に協力しつつ、浄水活動、道路や学校の修復、医療支援などを行ってきました。また、クウェートには航空自衛隊員200名と3機の C 130を派遣し、輸送活動を行っています。私自身1ヶ月前にサマーワを訪問し、自衛隊の協力が現地の人々に歓迎され、イラク国民の支持を得ていることを確認してきました。

また、海上自衛隊は、アフガニスタンにおけるテロとの闘いを支援して、インド洋に艦船を派遣し、コアリション11カ国の艦船に燃料や水を提供してきています。更に、日本は、拡散に対する安全保障構想(PSI)を重視しており、一昨年日本が初めて東アジアで主催した海上阻止訓練を始め多くの訓練に自衛隊が参加してきています。

 

ご列席の皆様、

 

( 日露防衛協力 )

 日本は、諸外国と安全保障対話・防衛交流も積極的に推進しています。日露両国は、安全保障・防衛面で多くの利益を共有しており、ここで日露間の防衛交流に触れたいと思います。

旧ソ連時代も通じて初の防衛庁長官の訪露は1996年のことでした。1999年には防衛首脳間で防衛交流に関する覚書への署名が行われ、防衛交流が本格化しました。先に触れた2003年の日露行動計画でも防衛交流の推進が謳われています。今回の私の訪問を含む防衛首脳の相互訪問、統合幕僚会議議長等のハイレベルでの交流、更には、防衛当局間・各軍種間・研究機関間での協議や交流が活発、継続的に行われてきています。特筆すべきは部隊間の交流です。2003年来、陸上自衛隊北部方面隊及びロシア極東軍管区間の交流が行われています。また、1996年以来毎年、艦艇の相互訪問が行われており、更に、1998年に開始された捜索・救難共同訓練は既に7回を数えました。アセアン地域フォーラムや先述の東京ディフェンス・フォーラム等、安全保障に関する多国間の対話の枠組みにも日露両国は積極的に参加してきています。これらの交流は日露両国の信頼醸成のみならず、国際安全保障環境の改善にも寄与するものであると確信しています。

この防衛面での良好な関係の具体例が、私に同行してここにいる海上自衛隊第二潜水隊群司令木下一等海佐です。昨年8月の極東におけるロシア潜水艇の事故に際し、ロシア太平洋艦隊の要請に応じ、海上自衛隊は他の国に先駆けて救援のためにその艦船を出航させました。結果的には、潜水艇は幸運なことに英海軍の救難チームにより無事に救出されましたが、そのときの功績により木下一佐はプーチン大統領から叙勲を受け、先程のイワノフ国防相との会談の際に国防相から直に勲章を伝達されたことをご紹介したいと思います。

 

ご列席の皆様、

 

 以上紹介した防衛分野での両国の緊密な協力関係は、冷戦期には考えられなかったことです。本日のイワノフ国防相との会談では自衛隊とロシア連邦軍の部隊間におけるいくつかの新たな防衛交流について合意するとともに、会談後これに関連して両国間の防衛交流覚書の改訂に両者で署名を行ったところです。防衛分野を含む、政治、経済、社会、文化等広範な分野からなる日露間の全般的な関係が更に進展し、日露両国が信頼関係に基づいた隣国として、両国の友好と繁栄のみならず、国際社会の平和と安定に寄与し得る重要なパートナーとなることを期待しています。

 

 以上、ロシア軍の精鋭の皆様に、日本の自衛隊の現状、日露関係の現状、今後日露が大量破壊兵器の拡散や国際テロ活動への対処し世界の安定と発展のために協力していくといったことをお話することができ、大変嬉しく思います。私は昨日モスクワに到着し、美味しいロシア料理を頂き、ロシアが好きになりました。日露両国の防衛当局がお互いに理解し合って、日露両国とユーラシア大陸の発展のために協力していくことができれば本望であります。

 

ご静聴ありがとうございました。
以上