「モスクワは涙を信じない」の舞台から観たモスクワの「今」 1979年に製作された映画「モスクワは涙を信じない」(原題「Москва слезам не верит」)はソ連国内で9000万人以上が鑑賞し,1981年のアカデミー映画賞外国映画部門賞を受賞した最も有名なロシア映画の一つです。 舞台となるのは1958年及び20年後のモスクワ。その当時のモスクワと比較して現在のモスクワがどうなっているのか探訪してみました。
「映画の冒頭でも写される,展望台から見たモスクワ。展望台は映画の当時は「レーニン丘」でしたが,今は「雀が丘」となっております」
田舎からモスクワに「上京」している若者時代の主人公二人(カーチャとリューダ)がマヤコフスキー広場で街頭詩人の朗読を聞き(リューダ曰く「全然わかんない」),目抜き通りである当時の「ゴーリキー通り」を「銀ブラ」するシーンがあります。 マヤコフスキー広場は詩人マヤコフスキーの像とともに健在です。
通りの名前は映画では「ゴーリキー通り」,現在は「トヴェルスカヤ通り」と名を変えましたが,モスクワで最も賑わっている通りの一つであることは変わっておりません。ただ,1959年を舞台とした映画では肩を抱きあって歩いている男女に,「ドルジンニキ」(дружинники)と呼ばれる「人民パトロール隊員」が「公共の場で肩を抱き合って歩くな」と注意するシーンがありますが,現在のロシアでは男女が楽しそうに歩いており,それを咎める人は誰もいません(顔はしかめるかもしれませんが!)。
また映画ではショーウィンドーに並んでいたのは「かに缶」でしたが,今では外国のブランド品が数多く並べられています。
カーチャのお金持ち叔父夫婦が住んでおり,自分の家と偽ってリューダと「合コン」をした「文化人アパート」は現在も住居として利用されています。外装は重厚な「スターリン建築」のままですが,内装は改装され現在も高級住宅でありつづけています。
今も残る荘厳な外装
1階はロシアオリンピック代表団にユニフォームを提供しているスポーツ用品会社が出店しています。
カーチャが叔父夫婦の犬を散歩させていた階段。目の前の通りは最近できた郊外に向かう新しい幹線道路に繋がっているため,渋滞が開始するポイントとなっております。
映画ではカーチャがロジオンに妊娠している子供の相談をするも冷たく断られ,20年後には逆に娘に会いたいというロジオンの要望を冷たく断る並木道の現在です。近くにはソ連時代に爆破された後,2000年に再建された救世主キリスト教会があり,多くの人で賑わっています。
クリスマス(ロシア正教会では1月7日)、復活祭などには大統領も来訪されます。
親友トーニャの「ダーチャ」は家庭菜園を有する昔ながらのダーチャですが,最近は「タウンハウス」という名前の富裕層向けのコテージも郊外に目立つようになりました。
トーニャの夫,ニコライが車(国産車)を修理しつつ「車はちゃんと修理すれば100年使える。この車は自分の孫も使う」と述べていますが,今のモスクワでロシア国産車を見かけることはむしろ少なくなりました。
カーチャが恋人を車でアルバート通りにて拾うシーンがありますが,少し顔を出す建物が当時のロシア社会主義連邦共和国最高会議,現在のロシア連邦首相府です。映画では車はすいすい進みますが,現在は渋滞が社会問題となっています。
映画はモスクワの夜景で幕を閉じますが,現在のモスクワの夜景です。
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